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こんにちは京都大学

2011年04月03日 01:40

最後の更新から丸一年、まったく更新せずにいた私であったが、
今年度4月1日をもって我が人生のひとつの節目となったために、此度の更新をすることにしたわけである。

思い返せばおよそ一年と一ヶ月前、私は高3で京都大学の入試会場にいた。
得意としていた化学が難化し、試験時間中は焦りで口の中がパッサパサ、時間とは悲しいかなそういうときに限って一瞬の邂逅のうちに過ぎ去り、気づいたときには大問2を丸々空欄で解答用紙を提出する羽目となった。
結果は惜敗である。
合格最低点までわずか6点のために私の一年、いや私立の中高一貫校での6年間の努力は水泡と化し、
試験終了後に訪れた鴨川の清らかな流れときらめく水面のなかに消えうせたかに思えた。

しかし京都の鴨川は支流となって大阪の淀川になるためか、その努力の水泡は鴨川から淀川へと漂い、
やがて大阪の川の岸辺にたどりついたらしい。
水泡は音をたてずにはじけ、中にたまった6年の思いと努力が、大阪大学で後期試験を受けていた私のもとへ再び舞い戻った。
勉強の甲斐あってか私はなんとか後期試験に合格し、全身全霊をもって神に感謝した。
嗚呼やはり努力は裏切らない。願わくば大阪大学で麗しき女性との薔薇色のキャンパスライフを・・・!

私は大阪大学の人間となった。
しかし合格して実際に講義に出てみると、なにか納得がいかない。
そもそも私は京大では農学部を志望していた。
しかし阪大には農学部はなく、私はしぶしぶ生物工学コースを有する基礎工学部に籍を置いた。
自分の学力レベル、通学圏内という問題との兼ね合いで決定したことである。
入ってみると基礎工学部というだけあって、やることはいかにも工学である。
生物工学の「生物」というのは、もはやおまけ程度の扱いであった。
聞くところによると現状ではバイオ関係はバイオ単体では行き詰まった学問のようだ。
そのために「工学」の分野と融合することによってバイオテクノロジーを「飯を食っていける研究」に変形させ、新たな学問の道を拓くことをこの学科では目指しているようである。

いくらなんでも生物を工学の視点から見つめることに全面的に頼り切っていることはあるまい。
そもそも生物を工学でとらえるってどーいうこっちゃねん。それだけじゃ無理にきまっとる!
このコースでは工学は一つの手法にすぎないんでしょ・・・?

そんな一連の私の甘い考えは再び水泡となり淀川を流れ、大阪湾、広大な太平洋へとたどり着き、とうとう虚無の波にのまれようとしていた。

さすがにこの現実には気が滅入った。
私が勝手に作りあげたイメージは無造作に詰まれた書物のように崩れ去り、本で埋め尽くされた床に足場はなく、私は現実と理想の間をふわふわと浮かんでいた。

私は自分の今までを省みて、そして私の周りを見回した。
そこらへんの人間よりはがんばったはずである。しかし結果は実らず、滑り止めでひっかかった。
同じようにともに努力し京大に合格した友人のことを思うと、とたんに羨ましくなった。そしてすぐにやりきれない思いがドロっとした黒い塊となって腹の中に沸いて出た。
一体どうしてこうなったのか。後期で受かったのにどうしてこんなにつらいのだろう。
思えば高1の夏、初めて京大というものを見たとき、京都大学が私のなかの大学のイメージとなった。
そのイメージが崩れただけでもつらいのに、自分のこれからやる学問にまで絶望している。

いよいよ私は自分の未来に疑問を持ち始め、そして我が人生最大の決断をする。
今思えば向こう見ずなまさに若気の至りといった決断であったように思われる。
まあしかしこうするしか納得がいかなかったのだ。
この世に生を受け18年しか生きていない小童なりに考え抜いた結果である。この結果に至るまで私がどれほど苦悩したことか。現実に涙したことは多々ある。

私は高1の夏以来ずっと憧れていた京都大学をもう一度受け直すことにした。続きはまた後日書くことにする。
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