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おこんばんは京都大学

2011年04月04日 01:06

昨日に続いて書くことにしよう。

阪大受かったにもかかわらず京大を受け直すという、世間の常識の流れから真っ向に逆らった僕の一年が明けたわけである。
阪大は休学した。退学するほどの大それた勇気は僕は持ち合わせていなかったわけである。
後に某予備校に通い普通の浪人生のように受験勉強に励んだ。
阪大は休学したために単位をとることなどはなっからキャンセルである。
もし京大に落ちて阪大に戻れば留年という我が人生最高の栄誉を得ることになり、かつ一年後れのためにせっかく作った友人とも疎遠となる。
無論興味のない勉学に対して一年分の単位を取り返そうなどという気力もないであろう。
つまりは落ちる=阪大での死を意味したといったといっても過言ではない。
私はこの一年間この恐怖にさいなまれ続けた。

未来のことをいくら考えても、未来の方向を明確に決定付けることはできない。
自分の模試の成績と照らし合わせて自分に自信を得ようとしても、そんなものは試験当日の出来不出来を前にしてはまったく意味を成さない。
つまりいくら安心しようと努めても、この一年間は絶対に安心することはできなかったのだ。
不安になることしかできない一年。これにはさすがに閉口した。

これは現役のときにはなかった感覚である。
現役のときは浪人のつらさなどわからないし、ましてやこんなことになるなど思いもしなかったのだから。

単位をとろうとしていなかったので、世に言う「仮面浪人」とはちょっと異なった体裁をなしていたかもしれない。

そして今日からおそよ一ヶ月前に京大の試験を受けた。
結果は合格。3月31日付けで阪大を退学することになった。
そして4月1日をもって京都大学の人間となったわけである。

合格してまだ入学式も始まっていないが、今のところ京大生の自覚はない。
それどころかほかのいろいろな不安がよぎる。
私は新たな大学でまっとうな時間を送れるのだろうか。
怠惰な、無価値な4年間にしたくはない。
自分の未来に納得したかったために私は一年前に大きな決断をした。それが無と帰すのは惜しいどころか迷惑をかけた家族に申し訳が立たない。

私は自分に自信がない。こんなありきたりな、ノーマルな人間がこれからの世間の波を渡っていけるのか。
私はオリジナルな存在となりたい。アイデンティティ崩壊の危機は常に私の背後に迫っている・・・!

この四年は私にさまざまなオプションをつける機会である。
素体に近い今現在の自分に、死ぬときに自分の人生に納得がいくようなパーツをつけるのだ。
面白きこともなき世を面白く。
下鴨神社からほど近い鴨川デルタから鴨川の水面に、再び不毛な水泡を浮かべないように精進するだけである。

ちなみに此度の更新は普段の口語調のものとは異なっている。
森見登美彦に感化されていることは内密に。今度からは普段通りに更新する所存だ。
彼の京都、京大に対する愛が満載な小説たちが私の将来に影響を与えたことは言うまでもない。

自分の選択には納得している。あのとき京大を目指さなければ私は本当に腐敗の一途を辿っていた。
しかしもし一年をやり直せるなら、阪大入学を辞退して普通に浪人して京大を受けたであろう。
仮面浪人なんてするものではない。
名前からは想像できないほどに仮面浪人はつらい。疲弊する。
家族に迷惑だし、受かるかどうかはいくら成績がよくても結局は前期試験の出来に左右されるという半ば博打に似た行為だ。
私は今満足しているのは所詮結果がよかったからなわけであって、
落ちたにもかかわらず「落ちたけどこの一年で得るものがあった!」などと前向きになれる保証は一切ない。
むしろ仮面浪人を決断した自分への後悔の念にさいなまれること請負である。

なにはともあれ私は今幸福である。
自分をオリジナリティある人間にするために、小生はひたむきに努力しよう。
その途中経過はこれ以降もこのブログに書き連ねていき、個人の力ではどうにも揺るがない地盤をもったこの社会に少しでも大きな傷をつけて私の人生の痕跡を残したいと思う今日この頃である。
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こんにちは京都大学

2011年04月03日 01:40

最後の更新から丸一年、まったく更新せずにいた私であったが、
今年度4月1日をもって我が人生のひとつの節目となったために、此度の更新をすることにしたわけである。

思い返せばおよそ一年と一ヶ月前、私は高3で京都大学の入試会場にいた。
得意としていた化学が難化し、試験時間中は焦りで口の中がパッサパサ、時間とは悲しいかなそういうときに限って一瞬の邂逅のうちに過ぎ去り、気づいたときには大問2を丸々空欄で解答用紙を提出する羽目となった。
結果は惜敗である。
合格最低点までわずか6点のために私の一年、いや私立の中高一貫校での6年間の努力は水泡と化し、
試験終了後に訪れた鴨川の清らかな流れときらめく水面のなかに消えうせたかに思えた。

しかし京都の鴨川は支流となって大阪の淀川になるためか、その努力の水泡は鴨川から淀川へと漂い、
やがて大阪の川の岸辺にたどりついたらしい。
水泡は音をたてずにはじけ、中にたまった6年の思いと努力が、大阪大学で後期試験を受けていた私のもとへ再び舞い戻った。
勉強の甲斐あってか私はなんとか後期試験に合格し、全身全霊をもって神に感謝した。
嗚呼やはり努力は裏切らない。願わくば大阪大学で麗しき女性との薔薇色のキャンパスライフを・・・!

私は大阪大学の人間となった。
しかし合格して実際に講義に出てみると、なにか納得がいかない。
そもそも私は京大では農学部を志望していた。
しかし阪大には農学部はなく、私はしぶしぶ生物工学コースを有する基礎工学部に籍を置いた。
自分の学力レベル、通学圏内という問題との兼ね合いで決定したことである。
入ってみると基礎工学部というだけあって、やることはいかにも工学である。
生物工学の「生物」というのは、もはやおまけ程度の扱いであった。
聞くところによると現状ではバイオ関係はバイオ単体では行き詰まった学問のようだ。
そのために「工学」の分野と融合することによってバイオテクノロジーを「飯を食っていける研究」に変形させ、新たな学問の道を拓くことをこの学科では目指しているようである。

いくらなんでも生物を工学の視点から見つめることに全面的に頼り切っていることはあるまい。
そもそも生物を工学でとらえるってどーいうこっちゃねん。それだけじゃ無理にきまっとる!
このコースでは工学は一つの手法にすぎないんでしょ・・・?

そんな一連の私の甘い考えは再び水泡となり淀川を流れ、大阪湾、広大な太平洋へとたどり着き、とうとう虚無の波にのまれようとしていた。

さすがにこの現実には気が滅入った。
私が勝手に作りあげたイメージは無造作に詰まれた書物のように崩れ去り、本で埋め尽くされた床に足場はなく、私は現実と理想の間をふわふわと浮かんでいた。

私は自分の今までを省みて、そして私の周りを見回した。
そこらへんの人間よりはがんばったはずである。しかし結果は実らず、滑り止めでひっかかった。
同じようにともに努力し京大に合格した友人のことを思うと、とたんに羨ましくなった。そしてすぐにやりきれない思いがドロっとした黒い塊となって腹の中に沸いて出た。
一体どうしてこうなったのか。後期で受かったのにどうしてこんなにつらいのだろう。
思えば高1の夏、初めて京大というものを見たとき、京都大学が私のなかの大学のイメージとなった。
そのイメージが崩れただけでもつらいのに、自分のこれからやる学問にまで絶望している。

いよいよ私は自分の未来に疑問を持ち始め、そして我が人生最大の決断をする。
今思えば向こう見ずなまさに若気の至りといった決断であったように思われる。
まあしかしこうするしか納得がいかなかったのだ。
この世に生を受け18年しか生きていない小童なりに考え抜いた結果である。この結果に至るまで私がどれほど苦悩したことか。現実に涙したことは多々ある。

私は高1の夏以来ずっと憧れていた京都大学をもう一度受け直すことにした。続きはまた後日書くことにする。



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